haven’t we met 本店に寄せて

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haven't we met の看板

haven’t we met 本店に寄せて

2020年は誰にとっても、記憶に残る1年になった。

正体の判らないウィルスの影響で、誰もが生活を見直し、経営を見直し、猛スピードで変化を迫られた。仙台に住む私の記憶に印象深く残ったのは、私が高校生の時からある二つのお店がその幕を閉じたことだ。ひとつは「えかきや屋画材」という画材店で、もうひとつは「haven’t we met」というカフェの本店だ。ひとつの時代が静かに終わっていくのを感じた。

ツイッターで、haven’t we metの本店が閉店したことを知ったのは9月の終わりだった。はっとした。いつもあると思っていた、あの空間、あの時間、あの味がもう二度と手にとれないものになったのだ。そして、最後に訪れたのはいつだったか考えた。多分冬だ。編み物と本とともに、静かな時間を3020年(*注1)変わらない北の窓を見ながら、楽しんだのだ。

もちろん、opus店はまだあるし、味も変わっていない。でも、確実に流れる時間の質は違うし、選ばれる音楽も、顔を合わせる人も違う。もう2度と、あの北の窓から見える、植物とビルの一体化した不思議と心休まる景色を見ることはないのだ。そうかと思った。

ここ数年、私は小さいながらも、教室を持った。お店とはいいがたい規模の小さなマンションの一室だ。それでも、その場所を探す手数や、小さな店舗を経営していく苦労をわずかながら実感した。だから、ひとつのお店を、ひとつのコンセプトで作り上げていくことにかかる手数と、手間と、愛に少しは考えを及ばせることができる。haven’t we metは、家具まで作り付けだったのだ。しかも、宮城県に住む、木の職人さんの手によって。どれほどのこだわりと時間がかかっているか、想像をはるかに超える。

行けば必ずあった、時間と空間。水を飲むように、ざぶざぶあふれている何かを補給する場所。他人の手で丁寧にしつらえた空間。誰かに見守られて、過ごす時間。たとえ行かなくても、その時間と場所があることで、支えられていた私の仙台での生活は計り知れない。

だからといって、毎週行ったかと言ったら、そうではないのだ。そこが、心苦しいところだ。行くのはせいぜい年に3回か4回だ。それでも、あるとないとでは、雲泥の差なのだ。

30年ほど前に、本店がオープンしてから、haven’t we metは、仙台のカフェ文化をけん引してきた。多くの後輩を作り、他のカフェが育ち、店を構えることに自信を与えてきた。ある高い質の空間と時間を提供することが仙台で成り立つと証明して見せたのだ。その切り口から、彼らが見せてくれた可能性は計り知れない。

私たち、小規模事業者は、基本的には公共の助けを得ないで、お客様から頂く代金で、生活と経営を支えている。それが、私たちが健全だと思う商売の在り方なのだ。少なくとも私にとってはそうだ。そうやって、haven’t we met のオーナーは、文化を創り出していたのだ。必要なものが、必要な場所に、それぞれに支えられながら存在する。そのシンプルな公式のもたらすものに安らぎを覚えて、私(たち)は経営をするのだ。

コンセプトやポリシーだけで、商売をすることはとてもむつかしい。haven’t we met 本店が生み出していた文化の価値に数値や報告書をつけることは、さらにむつかしい。そうではない方法を彼は選んだのだから。だから、私たちは、万全に注意して、お金を使うべきだし、時間を使うべきなのだ。

そうやって、心ある商売をしている、彼らや私たちを支える方法は他にないのだろうか。そう思った。少なくとも、あの時間をあの空間を砂漠で飲む水みたいにとても貴重に思っていたお客が一人ここにいたことを伝えることはできないだろうか。そう思って、私はここに文章をつづっている。

これが、仙台だから、事態はそれより「まだ」悪化していない。これより小さな町は、このような誰にとっても必要なでも、頻繁には行かない場所が次々決断を迫られているだろう。あるとないとでは大差な「文化」が消えようとしている。

ゲームセンターも、ショッピングモールも、スーパーマーケットも、デパートも、私たちには、必要なものだ。でも、ある少数一定の私たちの中には、haven’t we met 本店が作り出していた、空間と時間が必要なのだ。私たちにできることは何だろう?

私たちはこれから、この街を作っていくのだ。自分が好きだと思う、小さなお店に通ったり、買ったり、話したり、感謝を伝えたりしながら。そうして、いつか、心ある、haven’t we metのオーナーがカフェを開こうと思ってくれたように、そういう人が現れて、また、この街で、お店を開いてやってみようと思うような、面白い街になることを心掛けながら。それは、公的資金の援助ではできない何かだ。その境目に私たちは立っている。

私にできることは、少ない。それでも、こうやって、文章を書くことはできる。これから、私が大事に思う仙台のお店を3カ月に1回、記事にして紹介していく。できればきちんとインタビューして、バイリンガルの記事にしたい。それを通して、出会う人たちに興味があるし、そうやって、私が好きな仙台を見守っていきたい。来年、私の仕事時間の1割をこのことをするために使おうと思う。それが、haven’t we met 本店があったことに対する礼儀を尽くすひとつの道だと思うから。

もし、あなたがこの記事を読んで、何か感じたら、ぜひ、コメントを残してほしい。こうやって、私が感じている静かな郷愁が私ひとりの物ではないことを知ることは、勇気が出ることだし、何かを続けていくときにはとても大事なものだから。そして、いつか、この記事をhaven’t we met のオーナーにも読んで欲しいと思う。

そして、いずれかの実際のヘルプを募集します。

・文章の校正をしてくださる方
・写真を撮ってくださる方
(一緒に取材に行ってください。3カ月に1回です。)
・英訳の校正をしてくださる方

2021年1月23日まで募集します。
応募してくださった方とは、顔合わせをします。

 

校正の締め切りは2週間ずつあります。
興味のある人は、メールをください。
ボランティアベースですが、
このつながりから、なにかお互いに生み出せるものがあるといいです。
例えば、仙台の有機野菜をお手ごろに手に入れる場所、
いい子供英会話の先生のこと、楽しい場所、人を紹介することができます。
興味があったら、お気軽にご応募ください。

2020年12月 寒い雨が降る日
ただともこ

*注1:haven’t we met 本店は2001年からの営業でした。きちんと確かめずに書いて申し訳ありませんでした。

English version of this text is here

haven't we met の看板

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