Kjempe bra通信 23-1 進化する私 Juli, 2023

こんまりメソッド〜小物編〜 Kjempe bra 通信 (ノルウェー便り)
こんまりメソッド〜小物編〜

20208月に、1年のワーホリノルウェー滞在から帰国したRisaさん。群馬のちいさな街にパートナーと暮らしながら人生を切り開いてきました。3年目の報告です。前回はこちら。全体の目次はこちら

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帰国2年目は仕事と家族のことが大きなテーマでした。仕事の比率を調整し、児童発達の施設で看護師として働く時間を増やしました。今働いている3つの職場と交渉し、現在は週3〜4で看護師、週1〜3で学童、月1で日本語支援のボランティア、ふた月に1回馬の仕事をしています。おばあちゃんや両親との時間が減り、パートナーとの時間が増えました。

 

☔️今月のわくわく

・馬が教えてくれること
自分が働いている場所以外の他の乗馬施設に興味を持ち、見に行ったことがあります。そこは立派な馬房と広大な芝生の馬場や魅力的な関連商品もあり、メディアにも取り上げられているような施設でした。その場所を訪れた時、こんなに素晴らしい馬場で走り回れたら馬たちは幸せだろうにと気持ちが高ぶりましたが、そこには不健康そうな馬たちがパラパラいたので、私はショックを受けました。普段私が接している馬たちは日本の乗馬施設の中ではかなり健康な馬たちのようです。日本には一昔前の方法で馬を管理している施設も多くあるようで、欧米の環境に比べると馬にとってはいい環境とは言えない場所、方法で飼育されているとJさん(私が働く馬屋のオーナーさん)は言っていました。馬屋で働いていなかったら馬たちの表情や健康状態は判断できなかったと思いますし、触れ合っている経験があるからこそ馬たちが尊い存在であると感じるようになっていました。キラキラした施設に不健康そうな馬たちがいたことが衝撃で、その状況からパッと見幸せそうに見える環境で働いていても不健康である人間を連想してしまいました。そして何より、それを知らずにただかわいいと馬を見たり乗ったり喜んでいる来場者を怖いと感じました。これは馬に限った話ではなく、知らずにしている選択の陰で実は苦しい思いをしている人たちがいるのではないかと感じた経験でした。知らなくて幸せなのではなく、知った上で考えた選択をしたいと思いました。

乗馬施設で働き始めて1年以上が経ちましたが、私は今まで馬に乗ったことがありませんでした。乗ってみたいという気持ちがあったので、働いている場所でお金を払ってお試しコースを体験しました。馬の筋肉の動きが触れている部分から自分の体にダイレクトに伝わり、自分のちょっとした動きも馬にサインとして伝わることを実際に感じ、乗馬の窓を通して馬と言う生き物を垣間見た気がしました。それは馬という生き物が役に立つ動物として家畜として人間と共に過ごしてきた期間の方がペット的なポジションにいる期間より長かったのかなあということです。馬に乗ってみてわかったことは、私は馬に乗ることより、ただ馬が好きだということでした。乗馬は楽しかったですが、見たり触れたりする距離感の方が私はしっくりくるようです。ただその存在に癒されているのだと実感します。今はここで働く時間は短くなりましたが、それは私が他の方法で自分を癒すことができるようになったり、一時期より現実世界で生きられるようになった表れなのかもしれません。

 

・禁酒
飲酒することで睡眠が浅くなったり、体調不良で時間を恐ろしく無駄にしたりしているのではと感じ、禁酒することにしました。元々お酒は好きで習慣的に飲んでいたのですが、驚くほど簡単にやめられました。最初は禁酒特典と称して1ヶ月飲まずにいられたらお酒に代わる自分の喜びそうなものを5千円分買っていいことにしていました。半年ほどで飲まないことが普通になり、禁酒特典は自然となくなりました。群馬に帰ってきてから外でお酒を飲むこともあまりなかったのですが、お酒を常飲しなくなってから居酒屋に行くことがありました。居酒屋の空気が澱んでいて、タバコの煙が目に染みて、食事がしょっぱくて、その上お金も高くついて。居酒屋とはお酒を飲まないとこんなに居心地の悪いところだったのかとびっくりしました。日常で食材の味を楽しむにはお酒は自分には必要ないこと。周りが飲んでいて自分が飲んでいなくても楽しさは変わらないこと。禁酒をしていると体調が良くてお金もかからないことがわかりました。最近は機会飲酒で1〜2ヶ月に一度飲んでいます。

 

・ノーファンデで人と会う 
思春期の頃から私は肌へのコンプレックスがあり、数年前まですっぴんを友達やパートナーにはもちろん家族に見せるもの嫌な時期がありました。化粧している時間が長く、常に肌荒もしていて、出先でもファンデかコンシーラーを必ず持ち歩き、化粧が崩れるとすぐに上塗りして粗を隠していました。ノルウェー滞在から、現地の人がほとんど化粧していなかったのもあり、人前ですっぴんでいる体験をしました。少しずつ基礎化粧品の見直しをし、この1年ぐらいで皮膚が詰まる感覚のものを中心に大事に持っていたコスメ達を沢山捨てました。今は肌に塗っているものは1種類だけで、それも必要そうな時に必要な部分にだけ塗っています。軽いメイクしかしなくなったので、メイク落としも買わなくなりました。ファンデを塗らずにパートナーや友達の前にいても、職場でもそわそわしなくなりました。普段化粧をしない人にとってはそんなにたいそうなことではないと思いますが、私には「人前ですっぴんでいられる日が来ればいいのに」と本気で神頼みしていた日があったのです。そんな日が来るようになって心が軽いです。ファンデを塗らずとも人前に出られるようになったのは肌が綺麗になったというのも一つですが、自分が気にしているほど、他人は気にしていないということがやっとわかるようになったからです。そして、粗を人に見せられる自分になったのだと思います。

 

・ゴミを減らす
生活していて毎日沢山のゴミを出していることにどこかで違和感があり、ゴミに関する書籍をいくつか読みました。ゴミについて情報を集め、この1年少しずつ生活の中に取り入れておきた変化がありました。

まずやってみたのがコンポスト。コンポストといっても堆肥ができる立派なものではなく、ただ庭に穴を掘って埋めるだけです。必要なものはスコップくらいで、土壌混合法を参考にしてはいますが、シンプルに生ゴミを土に返す感じです。キッチンで生ゴミを瓶に貯めて、いっぱいになったら庭の土と混ぜて埋めます。気温が高いと分解が早く、食材によって分解の速度が違うことが目に見えてわかります。生ゴミへの違和感は、本当は食べ物だったものがビニールに入れられて異臭を放ちゴミになってしまったと心苦しかったのかもしれません。それが土に返ってくれると思うとホッとします。土と触れるとほっとするのは自然と触れていると感じるのと土いじりをしているおばあちゃんを連想するからでしょうか。そしてコンポストと合わせて、極々少量の家庭菜園を始めました。紫蘇やパセリ、バジルなど…ハーブをほんの少し鉢に育てて、必要な時に少し拝借。少しあるだけで料理が華やぎます。お庭への夢は広がりますが、手元にある植物は今の自分がお世話できるだけにしています。

次に気になったのはプラごみ。こちらも出来上がっている食べ物や飲み物、野菜がプラ容器に入っていることへの違和感が元々あったことから始まっています。プラスチックが完全に悪だとは思いませんし、人間の生活を高めてくれた材料の一つであると思います。ただ私は食材に関しては特に臭いと見た目の理由から琺瑯やガラス、布製品が好きです。パン屋さんでの買い物や料理の保存はラップの代わりに手ぬぐいを使います。ティーバックではなく茶漉しでお茶を入れます。フィルターのいらないドリッパーでコーヒーを入れます。プラではなくガラスのお弁当箱でお昼を食べます。布に包まれたパンや野菜の方が食べ物が息をしていて美味しそうに見えます。一見手間がかかりそうな事も実は時間や場所、お金に余裕を持たせることに繋がっていて、使い捨ての商品よりも幸福感が高いと感じます。消費が促される社会において買い物は投票だと思います。そのものを買うということは現行の製造方法やその会社を応援していることに繋がります。毎日の買い物は選択の連続です。最近は買い物する時にもゴミのことが頭を掠めるようになりました。

 

・趣味以上仕事未満
ご縁があり、職場とは別の民間学童で子供たちにお茶会体験のイベントを開くことになりました。講師は母にお願いして、私は内容、対象、時間、場所などに関してイベントの調整を行いました。当日は子供4名に対して薄茶と廻り花を体験してもらい、講師代もいただきました。仕事以外でお金をもらう活動が経験でき、小さいイベントながらも1からやり遂げられたことが誇らしく、お茶会を楽しんでくれた子供たちと母(講師として参加)の姿が見ることができとても嬉しかったです。

去年の冬頃、Eさんからお店で使うイラストの依頼を受けました。仕事の合間にイラストをちょこちょこ描いていましたが、中々思うようにいかず、何も描けず5ヶ月が経ちました。ずっと待たせて忍びないのと今の生活をしながら求められた絵を描くスキルがないことを実感し、自分から依頼を辞退しました。やり遂げられなかったやるせ無さと自分から縁を切ってしまったことは後ろ髪をひかれましたが、描かなきゃと思っている気持ちを手放し、今の段階で絵は私にとって商業的なものではないこともわかりました。

依頼をくれたEさんは描いたものに対してお代を準備してくれていましたが、納得いくものがほとんど描けなかったので、Eさんに気に入って頂いた物だけをお渡ししました。辞退の理由も丁寧に受け取って答えてくれたEさんには申し訳なさとともに感謝でいっぱいです。

今回のように仕事以外の窓を開くことは、風通しよく生きることに繋がるのではと思います。今具体的な形にならなくても、外への窓を開けておくことで、生涯続けられる何かになればと思います。

 

・こんまりメソッド
ノルウェーにいる間にもこんまりメソッドをやったのですが、その時は仮住まいで物も少なくすぐに終わりました。確かにその時すっきりしましたが、この時はこんまりさんのいう本当の片付けにはなっていなかったのだと思います。今回は実家やおばあちゃんの家、車の中などにある私物を総動員させ、こんまりさんの書籍を元に衣類→本→書類→小物→思い出品の順に片付けを始めました。こんまりメソッドはかなりの症例を通して体系化されているので、本家の方法になぞって実践し、細かいところは後で自分に合うように修正していきました。

まずは大量の服…!私は服が大好きで、学生時代からの大量の服、靴、鞄の多さに我ながら圧倒されました。私にとって服は記憶です。思い入れのある大切な服は思い出をふんわり吸ってくれます。大好きなのにしまってあって着れていない服。そして最近ときめかないものを着ていることが多かったことに気づきました。着たいのに着てあげられてなくてごめんねとかわい子ちゃん(お気に入りの服)たちに謝り、しまっておかずに部屋着として復活してもらうことにしました。部屋着というよりは自分のために着る服です。部屋着を一番見ているのは自分です。だから私は自分のためにお気に入りの服を着ます。手放そうと思った服は回収やドネーションの前に綺麗に洗濯し、毛玉を取り、畳んでまとめ、お別れを言いました。そのほかにもSWAP SHOPという古着を循環させる活動をしているKさんと偶々知り合い、そこに古着を持って行ったりもしました。誰かのために服を手入れし、「ありがとう私をキラキラさせてくれて。」と感謝の気持ちを表す作業は浄化とはいわないまでもその類の気持ちを起こさせました。

このメソッドの中での山場は、片付けの最後に当たる思い出品の整理だと私は思います。ここをするために今までやってきたと言っても過言ではありません。小学生時代からとって置いた大量のお手紙、日記、別れ際にもらった色紙や写真、学生、新人時代のメモやレポートなどなど…思い出の中で、未熟で自分勝手ですごく明るい自分。片付けをしながら大量のお手紙、たくさんのありがとうに触れました。良い思い出とともに悲しかったり辛かったりした時の記憶も一緒に残してあります。内容を覚えているぐらい何回も何回も読み返してその度泣いていたお手紙を読み返しました。今、全然ザワザワしない自分に驚き、私は次のステップに進んだのだなと思いました。自分本意の人への好意は何かを与えるというよりはこれをしたら痛いという修行のようなトライandエラー。どうしてこの優しさが分からなかったのだろうと若い自分に思います。辛かったけれど、あったかいこともあったのだなと他人の優しさが今ならもっとわかります。辛かったことばかりが大きくならないように、なんとなく持っていたものを手放して、選んで残したものを大切にしたいです。

こんまりさんは片付け前に行うべきことを言っていました。それは片付け後の家での理想の生活のイメージを具体的に持つことです。私が描いたイメージはこうです。癖のあるワンピースをさらりと着こなして家事をする。なんとなく選んだアクセサリーがベストマッチ。綺麗なお部屋でお茶と食事を楽しみ、絵を描き、本を読み、ピアノを弾く。伸び伸びと生きることを体現し、接する人にも何かを感じて欲しい…この生活がすぐに手に入るわけではありません。時間が経つにつれて理想の形も変化していくでしょう。それでも片付けという物理的な作業は良い未来を連想させてくれるわかりやすい作業であると感じています。だからこそ面倒な気持ちもありつつ、やり始めるとなんだか楽しいのです。思い出品の片付けはまだ終わっていません。時間をかけて取り組んでいます。

つづきます。

こんまりメソッド〜小物編〜

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地面の上に散らばる桜の花びらが美しい

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